竹内敏晴と演劇ワークショップ その演劇教育的効果

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竹内敏晴

by 田村朗

演劇教育はGLODEAを中心として理解・認知が広まりつつある。だが高度経済成長期の日本においても演劇的手法を用いて人間の身体や言葉を問い直し、教育につながる新しい気づきを与える演劇人が活躍していた。その人物が竹内敏晴である。竹内敏晴(1925~2009)は独自の身体論による演劇ワークショップをとおして演劇界、ひいては当時の教育界に影響を与えた日本の演出家である。本稿では竹内の生涯とワークショップの内容を紹介し現代の学校教育の課題解決や演劇教育にどのように役立つかといったことを論じたい。

①竹内の生涯

● 誕生~青年期
竹内は1925年3月31日に東京に生まれた。だが生後数か月から患った中耳炎により難聴となり、12歳で音声がまったく聞こえなくなった。16歳で新薬開発により聴力が回復したものの、自分の言葉を話して相手の言葉を聞くということに苦心した経験がのちにコミュニケーション、身体などに関する思考を深める遠因となる。1

● 演劇の道へ
その後竹内は東京帝国大学文学部歴史学科に進学する。東大在学中に敗戦を経験した竹内は、詩人で養母の竹内てるよの人脈から岡倉天心の甥にあたる岡倉士朗に師事し、演出を学び言葉と身体の問題に取り組むことになる。演劇の道に進んだ経緯として竹内は下記のように述べる。

「演劇の仕事を選んだのは芝居が好きでたまらなかったからではない。(中略)なんらかの意味で創造的でなければ生きられないことを私は感じ始めていた。戦争と、私を戦争へ追い込んだもの──それは軍閥や支配層だけではなかった。生みの母さえ、私にとっては、拒否しなかったものとして、その一人だった──への強い怒り、というよりむしろ怨みがそれを支えた。だが私は、私ひとりのからだの中に力を見出すことができなかった。私にとっては、農民組合も芝居の集団も、協働して人間的なものを創り出してゆく、という意味で同じ次元のものだったのである」2

このように竹内にとって演劇は「協働して人間的なものを創り出してゆく」ものであった。竹内は自分一人の身体では実現しえない他者とのコミュニケーションによって成り立つ創造的な行為を渇望していたのである。

1 竹内敏晴の仕事 ── からだとことば 岡野浩史 平成国際大学論集第十五号 研究ノート 73頁
2 セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」1主体としての「からだ」 竹内敏晴 藤原書店 2013 年 50頁

● ワークショップと教育
東京大学文学部を卒業後、劇団ぶどうの会、代々木小劇場=演劇集団・変身などに所属したのち1972年、自身で「竹内演劇研究所」を開設し1986年まで活動する。同時期に1979~1984年に宮城教育大学教授に就任し「からだとことばのレッスン」と呼ばれる演劇ワークショップのようなトレーニングの仕方を開発した。それに基づく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障碍者療育に取り組み続け、レッスン参加者を中心に人間関係の気づきと自分を変えていく営みが広く注目されるようになり、宮城教育大学のほか、南山短期大学、聖霊短期大学などで教鞭を採った。さらに大学のみならず1980年から数年間、東京都立南葛飾高校定時制にて、芸術の授業の担当で講師として授業を行うなどした人物である。

 

②竹内の演劇ワークショップの特色

上記のように竹内の演劇ワークショップは、難聴からくるコミュニケーションの難しさを経験した彼自身の身体の問題を深く考えてみたいという動機から1972年から本格的に開始した。内容としては現代の一般的な演劇のワークショップでも行われるような、からだの無駄な力をリラックスさせる体操や、他者へ自分の声を呼びかけ、呼びかけられた者がどう感じるかをお互いにフィードバックするような「呼びかけのレッスン」といわれるものなどを中心に空想のシチュエーションで他者と心からふれ合うレッスンを一般の人々と共におこなうものであった。

それでは竹内の演劇ワークショップにおける演劇教育に結び付く特徴とは何か。竹内のワークショップは数十年の蓄積があるためすべてを紹介することはできない。そこで本稿では演劇教育と関連性が強いと思われるポイントとして「身体をとおした経験の吟味」に注目して述べたい。

● 身体をとおした経験の吟味
竹内のワークショップの初期段階では参加者に床に寝そべりリラックスしてもらう、というものがある。一見簡単なようではあるが、その参加者に他者が近づき参加者の手を立たせると力が十分抜けきっておらず、手が立ったままになっている人々が多いという。さらにもう一度手首を持ち上げてみると、するすると自分で持ち上げてゆく人もいる。「中には、すっと持ち上がってゆく自分の手を、あっけにとられて見ている人さえいたという。これは上司や家族、知人などの他者からの指示にすぐさま順応しようといつもいつも身構えている緊張の習慣のあらわれだ」3と竹内は独自の身体観からそうした現象を捉えた。

このように自分の身体を使って実感した新しい事柄を発見し、その体験を通して得た気づきや現象を自分なりに理解し「吟味」することが思考の深化につながる、というのが竹内の「レッスン」と呼ばれる演劇ワークショップの思想的基盤だった。演劇的なアプローチで自分の身体を用いて得た経験から学ぶという姿勢は演劇教育の目指すべき場所に近しいものがある。

3 竹内レッスン ── ライヴ・アット大阪 竹内敏晴 春風社 二〇〇六年 16~18頁

●社会からの批判
以上のように竹内は演劇ワークショップをとおして身体や言語について考えることに生涯を捧げた。しかしながら当時の社会から竹内のレッスンは一般的な教育とは異質であり「社会に適合するからだをつくっていない、竹内によって指導されるからだは社会にとって危険である」4という批判を受けた。しかし竹内にとって真に危険なのは1970~80年代当時の日本社会だった。「会社や組織ではいつも(人ではなく)用事が人を呼ぶ」5、「学校とはすでに企業社会の序列化された職員訓練所の下請けでしかない」6という厳しい言葉で竹内は当時の人間性の喪失を指摘していた。竹内は自身の活動を通してレッスン参加者が人間であること、つまり自らを解放し正直になることを追求していた。しかし解放され正直になった参加者の「からだ」と当時の社会がどのように調和できるのか、という疑問は彼の長年の思想的課題となった。

4 笠間選書154 事実と虚構 編者 佐藤泰正 大文社 1986年 113頁
5 生きることのレッスン ─ 内発するからだ、目覚めるいのち ─ 竹内敏晴 トランスビュー2007年
6 同上

 

③演劇教育との連関

以上の竹内敏晴に関する事柄と演劇教育にはどのような連関があるだろうか。現代の学校現場の課題から、竹内敏晴の活動や思想がどのように学校現場の課題を解決し、演劇教育の発展に寄与することができるのか論じたい。

●学校現場の課題
学校教育の課題として、身体を用いた実感のある経験や気づきを深く考える機会の少なさがあげられる。身体を用いた授業の代表格である現在の「体育」は体を育てるという本来の目的から大きく乖離していると言わざるを得ない。体育の授業で行われる競争やチームでのスポーツは、身体的能力という子どもたちが生まれ持った特性に対し点数やタイム、優劣をつける。こうした状況で自分(または自分のチーム)が身体的にいかに優れ、周囲が劣っているかという競争意識が生み出され、逆にスポーツが苦手な生徒は劣等感を抱いてしまう。

さらに学校のカリキュラムではプログラミング教育や論理国語の新設など言語による論理構築能力の向上が目標とされている。しかし実感や感情、身体全身を使った体験を伴うものではないので、言っていることは正しいけれども上滑りした空虚な議論が起きることや、自分の考えが正しいからと言って相手の立場を考えずに無遠慮に意見を押し付けることも考えられる。現代において「論破」という言葉が流行してしまっているように議論やコミュニケーションが相手の非や論理的欠陥をあげつらうことが目的になってしまい建設的な議論が難しくなっている。そういう人間が成長すると、理屈は正しくても相手の立場を慮ることもできず、自分の正しさと相手がいかに間違っているかということだけに注目する傾向がある。こういう人物は周囲に不快感・嫌悪感を与え、孤立する可能性も大いにありうる。

●演劇教育で変えられること・貢献出来ること
上記の課題について、竹内の活動における演劇教育的な要素はどのように貢献し現状を改善できるだろうか。一つの解決の糸口として、学校で行われる競争を主眼とした「体育」とは異なる、竹内が行ったレッスンのような「体育」を創り演劇教育のファシリテーターが演劇ワークショップのように授業を進行していくことが挙げられる。

体育の授業に竹内のレッスンや演劇ワークショップでおこなわれているようなシアターワークを取り入れ、生徒たちがシアターワークをとおして自分の身体がどのような状態にあり、どのように感じたか、どのような気づきを得たかを身体を動かしたうえでの実感のある言葉でフィードバックし共有する。そうすることで身体能力だけではなく言語能力も高まっていくので思考も深まっていくのではないだろうか。

例えば、竹内がレッスンで実践した「他人のためのからだ」ということに気づかせるシアターワークを体育の授業に取り入れ、教師のファシリテーションによって生徒の「自分のからだは自分でコントロールできている」という思い込みを崩し新たな気づきを発見させることで自分の身体や周囲、社会に対して思考を深める契機になる可能性も考えられる。

プログラミングや論理国語などの論理構築能力以前に、言葉を発する源である身体から実感のある言葉を生み出すことに焦点を定めた指導内容に改善することで、従来のような目的もなく順位や勝敗をつける体育の授業よりも深い学びが可能となり、体育が苦手な生徒も安心して取り組むことができるだろう。このような内容は普通の学校教育ではまだ十分に行き届いていない範囲であると思われるので演劇教育で補っていくことが教育全体への貢献になると考えられる。

 

④総論

竹内敏晴の文献や演劇ワークショップの様子から読み取れる演劇教育的な要素は示唆に富むものがある。

現代社会は、竹内が活躍したと同時に批判も受けた70~80年代と比較して安全になったといえるだろうか。2022年には国内で自殺した小中学生と高校生は512人となり、初めて500人を超えて統計のある1980年以来、過去最多になった。さらに元首相の暗殺事件やロシア・ウクライナの戦争などにより、子どもも大人も、そして国内外も決して安全とはいえない社会になってしまっている。一方でそうした社会に対する危機意識も深く考えることなく安穏と過ごしているうちに、様々なことにたいして実感もなく理屈の正しさだけで判断し生活してしまう人が増え続けてしまうことが危惧される。

そこでまずは自分の身体に立ち戻り、身体を使った体験をとおして得られた気づきや発見を共有できる機会が必要である。さらにそれが子どもたちのために学校教育の体育に組み込むことができれば日本社会の未来もより人間的なものになるのではないだろうか。

このような示唆を与えてくれる竹内の活動や思想は演劇教育にも今後も大きく影響をもたらすだろう。

【参考文献】
・セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」1主体としての「からだ」竹内敏晴藤原書店2013年
・セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」2「したくない」という自由竹内敏晴藤原書店2013年
・セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」4「じか」の思想竹内敏晴藤原書店2014年
・評論社の教育選書16からだが語ることばα+教師のための身ぶりとことば学竹内敏晴評論社1982年
・劇へ──からだのバイエル1986年竹内敏晴青雲書房・笠間選書154事実と虚構編者佐藤泰正大文社1986年
・癒える力竹内敏晴晶文社1999年・講談社現代新書「からだ」と「ことば」のレッスン竹内敏晴講談社2001年
・思想する「からだ」竹内敏晴晶文社2001年
・竹内レッスン──ライヴ・アット大阪竹内敏晴春風社2006年
・生きることのレッスン─内発するからだ、目覚めるいのち─竹内敏晴トランスビュー2007年
・竹内敏晴の仕事──からだとことば岡野浩史平成国際大学論集第十五号研究ノート

 

田村朗 aqiLaグローバルドラマ・マスターティーチャー(認定演劇教育家)
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