教育の大改革ともいわれる学習指導要領の改訂ですが、文科省の「学習指導要領改訂のポイント」ではこのように記載されています。
知・徳・体にわたる「生きる力」を子供たちに育むため、「何のために学ぶのか」という学習の意義を
共有しながら、授業の創意工夫や教科書等の教材の改善を引き出していけるよう、全ての教科等を、
①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等の三つの柱で再整理。
今回は演劇教育の観点から、これらの特筆すべきポイントについて考えてみたいと思います。
いったい何によって「生きる力」や「人間力」を育むというのか?
ここに書かれている狙いは素晴らしいながら、どのようにそれらを育むというのが甚だ疑問です。
三つの柱のうち、①の知識および技能はこれまで通りの教え方でもまだ大丈夫でしょう。しかし、②と③は「人間力」です。「人間力」や「生きる力」をどんな方法で、どのように教えるというのでしょうか?
この「学習指導要領改訂のポイント」では、具体例も書き添えられているのですが、
(例)中学校理科:①生物の体のつくりと働き、生命の連続性などについて理解させるととも
に、②観察、実験など科学的に探究する活動を通して、生物の多様性に気付くとともに規則性を見いだしたり表現したりする力を養い、③科学的に探究しようとする態度や生命を尊重し、自然環境の保全に寄与する態度を養う。
いったいこの流れでどこに表現したりする力を養える箇所があったのでしょうか? 研究結果をプレゼンするという意味でしょうか?
理念ばかりが先走って、肝心の手段がまるで準備できていないように感じるのです。
演劇教育がなぜ「生きる力」「人間力」の向上を謳うのか
わたしたちは、こうした「生きる力」や「人間力」を伸ばしていくためにどんなことをすればいいのか、その手段を知っています。
演劇で求められるものは、声や身体、感情、想像力、集中力、エネルギー、コミュニケーションなどです。大勢の人の前で、農民であれ王様であれビジネスマンであれなんであれ人間として演じるわけです。
「人間力」を、人間として生きていくためのたくましい力だと解釈している人がいますが、それは少しズレていて、人間ならば誰もが本来持っている力のことを人間力というべきです。それが想像力や創造力、感情や集中力などであり、これまでの学校教育ではこれらを伸ばすという意識も手段も欠けていました。演劇のもつメリットは、人間力で成り立っているということです。
要領よく、現代社会の中でたくましく生きる力であれば、知識や技能でもなんとかなったのですが、もっと根本的な人間的な力が備わっていないと未来は危ないぞ、と気づいたためにもう一度教育を再考することになったのでしょう。
②の思考力、判断力、表現力等はどうすればいいのか
こうした人間力をどう鍛えればいいのでしょうか? これは難問でしょうか?
思考力のためには考えなければならず、判断力のためには判断しなければならず、表現力のためには表現しなければなりません。集中力のためには、集中しなければならず、感情を豊かにするためには感情を使わなければならず、創造力のためには創造しなければなりません。
なにも難しいことはありません。それらができる手段を採用すればいいだけです。
では、国語や理科でそれができるのでしょうか?
無理にそれらからかけ離れた科目で育もうとするのではなく、それらを全て有している演劇をやればいいだけなのです。元も子もないですが、実際「演劇」が科目の一つに入るなら、他の科目がこの難問を無理くり実現しようとしなくてもいいわけです(まぁ、つまらない一方通行の授業ではなく、全ての科目で創意工夫はできますが、全ての教師に求めるのは大変です)。
問題解決力やモチベーションについて
ダボス会議で、2020年に必要なスキルの投票がありました。1位となったのが「問題解決力」です。
世の中は予測不能のことや問題にあふれています。それらは、教科書やマニュアルで解決できるわけではありません。だから、従来通りの教え方ではなく、もっと考えさせ、もっと発見させる教育法に移行しようとしています。
演劇にはもともと正解がなく、教科書もマニュアルもないのです。当てはめてすぐに解決する公式もありません。
100人いれば100人違う演技になります。
1つの作品を100の団体が上演すれば100通りの違う演劇になります。
教科書やマニュアルに囚われない思考力や創造的な解決という点でも演劇教育は適しています。
問題解決力自体は、プログラミング教育やプロジェクト型教育でも充分成果を挙げられるでしょうが、実は演劇も正解のない世界でよりよいものを追求するという点で問題解決力を使っているのです。
ちなみに、左にある「創造力」や「人間関係調整力」「情緒的知性」は、特に演劇教育が優位性をもっているといえます。
アクティブラーニングで求められること
アクティブラーニングという言葉自体がもう古さすら感じる教育界ですが、実際に学校現場ではこれからです。
アクティブラーニングでは、教師が生徒の能動性を促し、生徒が自発的に探求し、発言やプレゼンなどで外に向けて発信することが求められます。従来のように、講義型で一方的に知識を教えるのではなく、双方向的なやりとりで、生徒が主体となって学ぶことが大切です。
演劇に例えれば、教師が演出家で、生徒が俳優です。日本の演劇界ではいまだに演出家が強権を持ち、一方的にダメ出しする演出がよく見られますが、欧米では俳優たちの創造性を引き出し、彼らのアイディアや能力を生かして舞台を創り上げます。よって、演劇の稽古や訓練の中に既にアクティブラーニングがビルトインされているのです。
アクティブラーニングのために、ゲームを取り入れるということもよく聞かれます。ゲーミフィケーションですね。ゲームであれば、好奇心をもって自ら探求し、そして表現することが出来ます。
演劇にはシアターゲームがあり、ぼくはこども向けだけでも数百種類のゲームを調査しています。演劇教育は、意外に時代の先をいっているのですよ。
まとめ
ということで、学習指導要領の大きな改訂とともに必要となってくる「生きる力」や「人間力」の育成、そして問題解決力の育成において、演劇教育は非常に魅力的な手段であり、大いに貢献出来ると考えています。
ただ、いくら演劇教育の手法が優れていても、ファシリテートする教師の力がなくてはいけません。すなわち、子どもを育てる前に、教師が育たなくてはいけないわけで、施行まで残り少ない時間の中でどれだけのことができるか、GLODEAとしても真剣に取り組んでいかなければなりません。