vol.12 可能性は無限大、そんな演劇教育にたちふさがる壁

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可能性は無限大、そんな演劇教育にたちふさがる壁

可能性にあふれた演劇教育

演劇教育は、様々なジャンルのキーワードと結びつけることができます。

演劇教育の紐付けできる可能性

演劇教育は頭と身体の両方を使い、体験を通して、人間力全般を伸ばすことができます。テストの点数などで測れる学力は、英語や国語、社会などの科目教育で培うことができますが、これらは生きる力を培うことはできません。明らかに、コミュニケーション力や創造性などの人間力に対する教育が欠落しています。

演劇教育は、カバーできる範囲が広く、発達障害児や生きづらさを抱えた若者らにも適しているだけでなく、課題解決能力に長けたグローバルリーダーを育成する教育としても適しています。音楽や美術などの芸術教育も非常に優れていますが、演劇の場合は言葉や身振り手振りを使ったり、チームで協力しあったりするので、より社会で役に立つスキルを育むことができます

しかしながら、日本での演劇教育の普及にはいくつもの壁があります。

 

演劇教育普及を阻む壁

演劇教育に立ち塞がる壁

①イメージの壁

「演劇」という言葉のイメージがあまりよくありません。人は体験したこともないよく知らないものに対しては、勝手なイメージを作ります。演劇というと、「ハードルが高い」「自分には無理」「変わった人がやるもの」など、どうにもいいイメージがありません。そこで、ドラマ教育、シアターエデュケーションなど横文字を使う人もいます。ドラマケーションなど、新しい造語をつくる人もいます。それでイメージが変わるわけでもありません。演劇という言葉のイメージを良くする必要があります。
ユーチューバーだって、最初は怪しい人たちのイメージでしたが、今や子どもたちがなりたい職業ランキングの上位です。
演劇と演劇教育は違ったものとして捉えられてよいのですが、演劇教育のイメージをつくっていかなくてはいけません。

②認知の壁

そもそも演劇教育というものが一般的に知られていないので、認知されていくまでが困難です。読んだり見たりして十分に理解できるわけでもありません。買って使えるものでもありませんし、近所にあるものでもありません。手軽に知り、体験できるものではないのです。影響力のあるスターが発言していけば、認知されていくでしょうが、他力本願では認知は広がりません。

③体験の壁

そして、演劇教育は体験してみないと良さは実感できませんし、体験しても、スキルアップの部分はなかなか可視化できないので、「楽しかった」という一時的なもので終わってしまいがちです。わたしたちは、最初の体験へと導く工夫が必要ですし、継続して体験してもらい、その効果を実感してもらう工夫も必要になります。

④講師力の壁

仮に演劇教育が認知され、実践される現場が拡大したとしても、演劇教育家という人材が圧倒的に不足しています。演劇経験者なら全国各地にたくさんいますが、演劇教育の専門家はほとんどいないため、良質なプログラムを提供できず、教育成果が上がらない、あるいは演劇教育の導入見送りということになってしまいます。GLODEAの講座を受講することが、講師力のまず最初の一歩となりますが、プロとして現場を任せられるようになるまでには更なる研鑽が必要です。

⑤他領域の壁

学童やフリースクール、インターナショナルスクールや、幼稚園や小学校、福祉施設など、演劇教育家が活躍できる場は可能性としてはたくさんありますが、現在の所、この領域で盛んだという明確な場はありません。多角的に横に展開していくためには、壁があります。
各領域に課題があるため、そうした課題に精通し、効果を上げられる再現性あるプログラムを作っていく必要もあります。ただ単に「演劇教育いいからやりませんか?」では、うまくいきません。

⑥制度の壁

制度の壁というか学校の壁と呼べるものです。学校こそが教育の中心地であり、学校教育のなかに取り入れられることを夢見る演劇教育家は少なくありません。しかし、先生の忙しさや、キチキチの行事予定のなかで柔軟に導入されるには壁があります。試験的に実施されることはあっても、定期的に演劇教育が実践されるためには様々な障害があるでしょう。
STEAM教育やプレゼンテーション指導、アクティブラーニング、プロジェクト学習の一環として演劇が部分的に入るという形が現実的に見込みがあるかもしれません。科目として「演劇」が誕生するのは遙かに先のことでしょう。しかし、文科省が本腰を入れて演劇教育導入に力を入れるなら、一気に壁を破れる可能性があります。

 

わたしたちが取り組むべきこと

演劇教育が広がり、実際に多くの現場で成果を挙げていくまでに、わたしたちはたくさんの壁を壊していかなくてはいけません。
演劇は問題が解けるようになるわけではないですし、何か明確な正解があるわけでもありません。成長には完全に個人差があります。しかし、教育は個人の違いを受容した上で、なるべく多個性が輝けて、生きる力に繋がるものであるべきです。今、時代は、そのようにシフトしているところなので、演劇教育はまさにマッチしています。

とはいえ、演劇教育にどっぷり浸かっている立場なら、その素晴らしさは熟知しているものですが、一般の人たちからすればよくわからないので、一般の目線に立った情報の発信は大事ですし、認知→体験してもらうための働きかけも求められます。

また、悪貨は良貨を駆逐するというように、悪い演劇教育が行われると、悪い噂が広がり、更に壁を作ってしまうことになります。演劇教育は幸いにも、世界で豊富な知見がありますので、グローバルの視点で学びながら質の高い演劇教育を提供していくことが肝心です。くれぐれも、演劇をかじっただけの人が我流でやらないようにしていただきたいです。

イギリスやアメリカと比べると、日本の演劇教育はまだ開墾している最中といえます。そして開墾している土地もまだ少ないものです。種が芽を出せば、発育するパワーは強いので、そこまでどうもっていくかですね。発芽からの若々しい発展には期待したいところです。
日本においては、まだ演劇教育の収穫物がないに等しい状況です。ないものに人々は必要性を感じません。必要性を訴求していくこと、現代の社会課題解決に大きく寄与できることをアピールしていくこともまた求められます。