演劇教育家インタビュー第5回 早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 石野由香里さん

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石野由香里

「未来のために前進する演劇教育家インタビュー」第5回は、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教授 石野由香里さんに、ボアールの観客参加型の導入など、演劇教育の取り組みについてお聞きしました。


演劇の手法を用いて、他者の立場に立つ

石野さんはご自身のクラスで演劇をどのように使われているのですか?

わかりやすい言い方をすればアクティブラーニング、体験型学習という形で使っています。結局社会で起こる問題って、人と人の意見の食い違いとか、無関心からくるものだと思うんです。社会の課題解決とか、ボランティアの現場で起きている問題について、いわるゆるボアールのような演劇の方法でアプローチを用いて、他者の立場に立つことで、学生達が変わるんじゃないかと思っていています。

授業で行う場合は、学生が社会的な現場の中で起きた出来事について、自分が今まで思い込んでいた問題点を、他者になることで、違う問題点を発見したりとか、自分が思いこんでいた人物像がひっくり返ったりするような体験をしたりする、そういった学生の学び場として授業ではやっています。

課外プロジェクトでは、そのような形で学生が変わっていくっていうことも目的ですが、ボアール的に参加型演劇にすることで、学生の学びだけではなく、現場にかかわる一般の人にとっても違った視点の発見をしたり、自分が今まで考えたことのない隣人の立場に立つことに挑戦してもらえたりできるんです。

自分がひっかかりを覚えた出来事をグループで演じてみる

―具体的にどのようなことをされてきたんですか?

論文にも書いたんですが、ある学生の自分がひっかかりを覚えた出来事がいい例だとおもいます。
私のクラスで、ボランティアに関係したり、社会的問題に絡んだりしたテーマの中で、自分がひっかかりを覚えたシーンを持ってきて、グループで演じるっていうことをしているんです。彼女が実際に経験したことです。学校では、聴覚障がいの学生支援のボランティアっていうのをやっているんですが、有志の学生ボランティアが、聴覚障がいの学生に授業中1時間半つくんです。隣でパソコンを広げて、先生がしゃべっていることを聴覚障がい者の方に見えるように筆記みたいにタイプいって、聴覚障がい者の方が画面をのぞいてみていくんです。そういうペアが大きい教室とかにいるわけですよ。

その彼女も、講義中にいろいろやってあげていたんですけど、その日は、聴覚障がいを持つ学生が発表する日だったんです。先生に何か指示されたときに、この子は聞こえないわけだし、しゃべりも難しいところもあるから、それに自分が支援をしている立場だから、彼女が立ち上がって行こうとしてとき一緒に手伝おうとしたら、その子に「いいから。」って言われたんです。制止されたんです。そしたら「え?」と思って、でもその子は結局そのまま一人で発表したんですが、先生が途中で差し挟むコメントも聞こえない、あんまり大きい声でしゃべれないし、周りの子とかもざわついてあまり聞いてないのもあって、発表が上手くいかなかったんです。支援している子は、私が一緒にサポートすればうまくいったのに、なんで断られたんだろうと考え、ちょっとひっかかり、なんで断ったんだろうと思ったんですよ。

で、その場面を全く同じようにクラスで他の学生と再現して、聴覚障がい者の学生の役を断られた子がやったんです。そのときの様子とかを忠実に再現させるんです。ロールプレイってわりとラフかもしれないけど、普通のロールプレイとかよりも厳密にやっていくんです。つまりリアルな芝居をやらせるわけなんです。そして最後には、ボアールの観客参加型の方法で見せたんですよ。

彼女は、ずっと本番までは、演じても演じてもその聴覚障がい者の気持ちがよくわかんなかったままだったんです。本番ではいろんな履修生から意見がありました。例えば、ここで起きた問題についてどう思いますかとか質問したら、履修生が「この聴覚障がい者はきっと自分に障がいがあることを知られたくなくて、前に出るときに断ったんだろうから、知られずにサポートするような方法がいい。」と言ったり、そうすると「今遠隔のシステムで他の学生に知られないでサポートする方法もあるみたいだよ。」、「じゃあその方がいいんじゃない。」かとか、すごく色々な意見がでて、その場が発展していったんです。

それらの意見は障がい者の人の気持ちを考えて出た意見なんだけど、だけど彼女は障がい者として自分が演じたときに、その意見に対してすごい疎外感を感じたそうなんです。みんなが自分のことを思って言ってくれているようだけど、自分からしたら外側で健常者が障がいがある自分に対して、わいわいがやがや、まるで障がい者のためにみたいに言っているのってすごい違和感、疎外感があって、変な感覚が襲ってきたそうなんです。

この人のためによかれと思ってしていることの思い込み

石野由香里サポートするべきだと思っている側であった健常者のときには絶対に襲ってこない感覚があって、自分の考え方が変化していったそうです。聴覚障がいの彼女の発表が上手くいかなかったから、サポートするべきだったとこちら側で思ったことって、すごいこの人にとって見当はずれだったんだなって強烈に気づいて、ボランティアをしてこの人のためによかれと思ってしていることの思い込みっていうか、いくら何かしてあげているつもりでいても、もしかしたらその人のためになってないのかもしれないという根本的なことに気付いたそうなんです。そして普通に生きてる時も、日々私はいろいろなことを読み違えているかもしれないということがすごく怖くなって、そのあと人と関わるときにすごく変わっていったんですよね。

多くの学生が、似たようなことを経験して、自分は今までどれだけ人のことを見れてなかったかとか、どれだけ自分が自分の思い込みで人に接していたかに気付くんですよね。

今後のこういった活動をどう展開されていく予定ですか?

今までは教育、大学で教育者の立場として関わっていたので、やっぱり大学生と一緒にやっていきたいです。それはプライオリティとして続けていきたいと今でも思っていますけど、そのように自分の見方が変わる可能性があるのは大学生だけじゃないから一般の大人を対象にやりたいんです、例えば一番こういう方法取り入れたらいいっていうのは、支援の現場でヘルパーの方とか、ホームレスの支援だろうが、子どもの支援だろうが、あらゆる支援の場です。支援する側が、よかれと思ってやってる人も多いと思うんですけど、よかれと思ってやっているつもりが、受け取る側にとってはやっぱりすごく不快になることもあると思うんです。高齢者とかの支援の場でも、必ずしもこういう風に扱われてうれしくないって高齢者が思ってる件もたくさんあるとおもうんです。だから人が人のためを思ってやってるつもりでいて、実はそうではないみたいなことに気付けるようなことをワークとして、それは1つやったら1番ダイレクトにいいなと思っている現場です。

あとは、もうちょっと漠然と街でなかでやりたくて、それは街に生きる人とか、自分たちが何を大切に生きていくかについて、あまり考える機会もないとおもうんです。例えば物で買えるもので解決しようと思ったり、古いものは役に立たないからすぐ捨てたり壊したりしようってなるし、でもそれってやっぱり自分の未来とか人の過去とかに対して想像力があまりにもないと思うんです。何を大事に街の中で生きてくかっていうことがたぶんないんだと。それに対して何かワークショップができるといいなとおもっています。

 


石野由香里プロフィール

俳優/演劇ワークショップ主宰 (早稲田大学教員)
10代の頃からメソード・アクティング、スタニスラフスキーシステム、ドラマメソッド®(English Through Drama=E.T.D. Method)、サイコドラマなど様々なメソッドを習得。
大学卒業後、広告代理店と公益法人にて伝統文化・芸能やアート・地域を切り口に数々のプランニング・プロデュースをする。その後、地域振興とノンプロフィットマネジメントの研究のため東京工業大学社会理工学研究科博士後期過程に進学。コミュニティや地域社会の現代的問題に対して、様々なアプローチから解決の糸口を探る。現在は演劇的発想とメソッドを地域づくりや教育へ活かす方法の開発に取り組む。